ヒグマについて


 ヒグマに関しては、ページの途中では無く、独立したページを作成した。それは、出来れば流し読みでは無く、キチンと読んで欲しいと思ったからだ。

 知床に到着した日、昼食を食べに入った道の駅のポスターに違和感を覚えた。

  「ヒグマに近づいたり追いかけ回したりする事が規制されました。」

 えっ?何それ。ヒグマを見たら追いかけるより逃げる事を考えないといけないやろう。わざわざ規制する事?
 この時は大きな文字で書かれた字だけを読んで、横に書かれていた内容は読んでいなかった為、意味がわからなかった。

 大昔、現在62歳の私がボーイスカウトの隊員だった頃、「冒険手帳」という本があった。その中で熊に出会った時の事が書かれていたが、うろ覚えであるが、以下のような内容だったと思う。
 「万が一、出会ったら、熊の目を見て、ゆっくりと後ずさりしながら安全な距離を取るまで下がる事。けして走ってはいけない。死んだふりをしてお尻をかじられた人もいるので、寝転ぶのも駄目。ただし、小熊を連れた母親熊にあったら、一目散に逃げる事。小熊を守る為に問答無用で襲ってくる。上手くいけば小熊が安全だと母熊が認識すれば追いかけてくるのを止めるかもしれない。」
 とにかく出会わない事が大事だと記載されていた。野生のヒグマを見る事が出来るのは、観光船の上から等、安全が確保出来ている状況での事と思っていた。

 観光船から降りて、宿に行く前に再度、道の駅に寄った。その時に横の説明文を読んだが、そこに書かれていたのは、ヒグマを撮影する為にヒグマに接近する観光客がおり、本来、人間に近寄らないヒグマが人慣れをし、その結果、食べ物を求めて人のいる場所に出てくるようになり、人との遭遇機会が増える。しかし、ヒグマと人間の双方が接近を知らないまま至近距離でバッタリ出会うとヒグマはパニックになり人を襲う(ヒグマにすれば、自身を守る為だろう)事になる為、そういうヒグマは射殺される事になってしまう。観光客の身勝手な行動が結局、そのヒグマを殺ししてしまう事になる、といった内容だった。(文書は書かれているものと少し違います。私の解釈が入っています。)
 このポスターの隣に実例の写真があったが、そのうちの一枚が「ヒグマ渋滞」として、車が道ばたに沢山駐車してヒグマの写真を撮っているものである。
 これ、私も20数年前、カナディアンロッキーの旧道でやった。一列に停まっている車の後ろに駐車し、車から降りて写真を撮りに行った。

 そしてトイレに張っていたポスター。以下のURLにポスターの写真と文章が載っている。

 ヒグマと生きるために(知床財団の活動)|知床財団|世界自然遺産「知床」にある公益財団法人 (shiretoko.or.jp)


 同ページから全文を引用させていただき、以下に載せる。


コードネーム97B-5、またの名はソーセージ。初めて出会ったのは1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。翌年の夏、彼女はたくさんの車が行きかう国立公園入口近くに姿を現すようになった。その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。観光客が彼女にソーセージを投げ与えていたというのだ。それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。

我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。かつて北米の国立公園では、餌付けられたクマが悲惨な人身事故を起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。我々は彼女を必死に追い払い続け、厳しくお仕置きした。人に近づくなと学習させようとしたのだ。しかし、彼女はのんびりと出歩き続けた。

翌春、ついに彼女は市街地にまで入りこむようになった。呑気に歩き回るばかりだが、人にばったり出会ったら何が起こるかわからない。そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べはじめた。もはや決断の時だった。子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。私は近づきながら弾丸を装填した。スコープの中の彼女は、一瞬、あっ、というような表情を見せた。そして、叩きつける激しい発射音。ライフル弾の恐ろしい力。彼女はもうほとんど動くことができなかった。瞳の輝きはみるみるうちに失われていった。

彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻って行くはずだった。それは、たった1本のソーセージで狂いはじめた。何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えてほしい。



 今年は特に熊の被害が多いとニュースで報じられている。熊の餌になるドングリが不足のせいで人里に降りてくるのだと。ネットのコメントには「熊とは共存できない。あやつらは餌が無くなれば人間を食らう。」といったコメントもあった。本当だろうか?
 私は専門家では無いので責任ある事は言えないが、ガイドのMさんが「アイヌの人と共存している時は熊は人に近づきませんでした。アイヌの人は熊を食べていましたから。」と話されていた。とすれば、いくら餌のドングリが不足しても、自分が食われるかもしれない人間のところには近づかないのではないか。結局、今の熊被害が出るようになったのは、熊のせいでは無いのではないだろうか。
 知床はどこで熊にあっても不思議では無いエリアとの事。地元の人達は熊との共存をする為に様々な注意をし、決まりを作って守っている。その努力を通りすがりの観光客が台無しにしてよい訳がない。私も知床を訪れるに当たり、熊に対する勉強不足を反省する次第である。


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